【医師の臨床留学】大変すぎたアメリカ国内引越し〜7年で4回の大移動〜

みなさんこんにちは!あみままです。
優しい夫とにぎやかな3人の子どもに囲まれて、今日も楽しくドタバタと過ごしています。
アメリカに来てからの私たちの7年間は、引越しと共にありました。 日本ジョージア州シカゴ シアトル フィラデルフィア とアメリカ大陸を縦に横にと大移動。平均すると2年に1回というペースで引越しする暮らしだったのです。

州をまたぐ移動は、法律も教育システムも、そして文化や人の当たりさえもガラリと変わるもの。出会いと別れをくり返し、毎回ゼロから全てを構築し直さなければならない生活は、過酷なものでした…。
アメリカ国内引越の3つのしんどいポイント
荷物をまとめたり、長距離を移動したりする物理的な大変さは言うまでもありません。でも、いま振り返ってみると私の心を本当に削ったのは、そこ以外の部分にありました。
①引越しの費用が全て自己負担
私たちの引越しは、基本的にすべてが自己負担。移動にかかるコストも、自分たちの貯金から全て捻出しなければなりません。
一度の引越しにかかる費用を合わせると、軽く100万円(約7,000〜8,000ドル)はかかります。
- 引越し用コンテナやトラックの手配
- 新居のデポジット(敷金)や最初にかかる諸経費
- 大陸横断にかかるガソリン代や数日間のホテル代
車の輸送費用や飛行機代を抑えるために、私たちは車で移動しました。広大なアメリカ。数日間かけて移動するとなれば、ガソリン代も馬鹿になりません。さらに、家族で安全に泊まれる場所を確保するためのホテル代も必須です。
シカゴからシアトルへの移動は約3,300km(約2,000マイル)。日本だと北海道から沖縄までの距離。5日間のドライブで横断したのですが、末っ子は当時生後7ヶ月。ずっとご機嫌であるわけもありません。授乳で止まったりおむつを変えたり、さらに上の子どもたちのトイレでも止まったり。兄弟喧嘩ももちろん起こります。もう疲労困憊でとほほ…
しかし行くしかない。もう戻っても家はないのだから、シアトルに向かってなんとか進むしかないのです。そしてついてからも安息できるわけではない現実。やることは山積みです。新生活のセットアップを考えながらの長距離移動は、本当にストレスでトラウマになるぐらい大変でした。
こうしてできる限りの節約をして引越しをしても、新しい土地に辿り着き、生活の基盤が整うころには、トータルで100万円以上が出ていく。引越しのたびに、貯金がどんどん削られるのは、心の余裕までもが削られるようでした。
②学校・病院・友人関係などをゼロから再構築する負担
お金が減っていくことと同じくらいキツかったのは、積み上げた日常がすべてリセットされるということ。アメリカは州をまたげば法律もルールもガラリと変わります。人の雰囲気はもちろん、気候も変わるため着るものまで買い直し。学校の開始時期や夏休みの期間さえ前後します。でもその土地にやっと慣れた頃には、また次の引越し。学校、病院、生活コミュニティをいちから作り直す作業は、想像以上に大変でした。
特に事務手続きのストレスは計り知れません。書類のやり取りや病院のデータ移行は、たらい回しにされるのが日常茶飯事。毎回スムーズにいかず、「あぁ、日本ならこんなことないだろうになぁ」と何度思ったことやらです。
学校行事も、それまでの当たり前が通用しません。担任や校長先生と密に連絡を取り、必死に情報をかき集めても、経験してみないとわからないことだらけ。例えば、フィラデルフィアで初めて迎えた授業参観。前日に「事前登録」が必要だと判明し、さらに兄弟児は連れていけないとわかって大慌てしたこともありました。
そして何より辛いのは、人間関係のリセットです。学校や近所の友達と打ち解け、自分たちが心地よく過ごせるようになったタイミングで、いつもお別れがやってきます。引っ越してきたばかりの土地は本当に心細く、家の周りをたった1ブロック歩くだけでも、途方もなく長い距離を歩いているような感覚に陥ります。
いつものスーパー、友達の家、道すがら見かける鶏を飼っているお家……。少しずつ馴染んで、自分たちの世界がようやく広がったとしても、また次の新しい土地が待っている。引越しだから、しょうがない。と割り切っているものの、引越した先での、なんとも言えない虚無感や孤独感は言い表せません。
③全ての予定が未定で見通しが立たない
お金が削られ、環境がリセットされる。そんな過酷な状況に追い打ちをかけるのが、いつ、どこへ、どのくらい行くのかが決まらないという不安定さでした。この予定が未定という状態は、留学、駐在、その形を問わず、多くの帯同者が共通して抱える最大のストレスだと思います。
引越しは、オファーレター(正式な採用通知書類)が出るまで確定できません。たとえ内定の電話をもらったとしても、それだけでは引越し予定を決めよう!とはならないのです。
ここはアメリカ。実際、書類が来る前にビザで問題が起きて内定が取り消しになったことを聞いたことがあります。正式な書類が来るまでは全く安心できない。記載された勤務開始日や期間をこの目で確認するまでは、引越しを確定させるわけにはいかず、待つしかありません。
次の行き先が正式に決まらなければ、今の家の解約通知(Notice)も出せず、新しい土地の住まい探しも、子供の転校手続きも一歩も前に進められません。『引っ越しの予定日、もっと早く教えてくれたらよかったのに』そう友人に言われたこともあります。私もそうしたかった。でも本当に分からないし、不確定なことをペラペラ話すわけにもいかないし…というジレンマ。
準備も報告もなかなかできない。いや、そもそもオファーレターが来なかったらどうしよう。全部白紙になんてなったら笑えんぞ…なんてモヤモヤを抱えた日々が続いてとんでもなくすり減りました。
実は、シカゴからシアトルへ移動した際は、シカゴを出発する時点で家の契約が完了していない状態。とりあえず行くしかない!とグダグダの出発だったのです。ロードトリップをしながら、休憩の合間にやり取りをして契約が完了。私はその頃は、”やっとの思いで到着したのに、到着したら建物も何も存在しない”という最悪な夢を見て、心臓をバクバクさせながら夜中に目を覚ますほど追い込まれていました。

環境変化が苦手な私だからこそ努力が必要だった
これだけ引越しを繰り返していると、周囲からは「適応能力が高い人」「変化に強い人」と思われがちです。実は真逆。新しい環境がとても苦手です。
小学生のころ、引越しを経験したのですが、ストレスからご飯が食べられなくなりました。さらに、学校に行けなくなってしまった苦い経験があります。いじめもなく、転校先のクラスメイトも担任の先生も、本当に優しかったのを覚えています。でも、とにかく環境の変化についていけませんでした。
新しい土地、見慣れない街並みに戸惑い、得体の知れない不安に襲われたあのなんとも言えない感覚を、今でも覚えています。何が嫌なのか分からないけれど、とにかく無理だったのです。
だからこそ、引越しのたびに、私は私のことが心配でした。日本にいる母も、心配してくれているのがビシビシと伝わってきました。
それでも、子どもたちの前でだけは、決してその顔を見せないと決めていました。そして、私と同じ、あの孤独な思いだけは絶対にさせたくない。その一心で、自分が一番不安な時ほど、意識して明るい声で「次はどんな街かな?楽しみだね!」と子供たちに前向きな言葉を語りかけ続けてきました。
本当は面倒くさくてたまらないけれど、担任と校長だけでなく、必ずスクールカウンセラーにも連絡を取って環境作りをしました。
必死すぎて、自分の感情はどこかに置き去りにしていた気がします。子どもたちが新しい学校に笑顔で通い始める姿を見るたびに「よし、これでまた無事に一つ乗り越えられた」とようやく少しホッとできる。引越しのたびにこれを繰り返してきました。
終わりに
7年で4回の大移動。その裏で貯金も、心の体力も、確かに何度も削られてきました。
アメリカでの生活は、思い通りにいかないことの連続です。高額な引越し費用、リセットされる人間関係、いつ届くかわからないオファーレター、ビザの問題。あげたらキリがありません。もう嫌だー!と叫び出したくなったことが何度もあります。
環境の変化が苦手で、子供の頃に学校へ行けなくなってしまった私でも、なんとかここまでやってきました。自分の感情を置き去りにして必死に家族を守ってきた時間は、本当に大変でした。でもとりあえず毎回、何とかなってきました。
今、まさに山積みの段ボールを前に途方に暮れている方へ。今からアメリカに挑戦しようとしているあなたへ。パートナーの挑戦を支えるために奮闘する誰かに。私のこの泥臭い体験談を読んで、”私だけじゃないんだ”と思ってもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
みなさまの毎日が 小さな幸せであふれますように。
*あみのままノート*
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