【医師のアメリカ臨床留学】就活を乗り越えたリアル体験記

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みなさんこんにちは!あみままです。

優しい夫とにぎやかな3人の子どもに囲まれて、今日も楽しくドタバタと過ごしています。

「夫がアメリカで医師をしている」なんて言えば、多くの人が経済的に豊かで、キラキラした優雅な生活をイメージするはず。

でも、私の現実は違いました。

研究留学帯同としてアメリカへ。そこからやっと医師免許を取ってフェローとして働いた数年間は苦労の連続だったのです。

アメリカの医療現場は、優秀な人材が集まる競争社会。 その中でも、夫の診療科である心臓血管外科は人気の診療科です。そこで外国人がポジションを見つけるのは至難の業。結果を出し、一人前の医者としての就職先を勝ち取るというのは、努力だけでなく運も味方しなければ生き残れない、壮絶な道のりでした。

キャリアを掴むための必死の就職活動と、職を求めて州をまたぐ繰り返す引越し。とにかく家族で目標に向かって駆け抜けた日々でした。

今回は、アメリカで医師として生き残る挑戦をした夫と、それを支えた家族のリアルな経験を綴りたいと思います。

目次

USMLE合格は苦難の始まりだった

多くの人が、「アメリカの医師国家試験(USMLE)に合格すること」を大きな目標にします。 もちろん、それはとてつもない努力が必要です。

しかし合格後に待ち構える就職活動は、
努力だけでは良い結果を得られません。
スポットに空きの出るタイミング、ビザの種類、アメリカでレジデント(初期研修医)なしでもOK、フェローを行った病院からの評判、とにかく全ての条件が合わなければならないのです。

運も必要ですし、高度な情報戦でもあります。

特に夫の目指す心臓血管外科は、アメリカ人医師でにも人気の診療科。 そこに外国人が入り込むには、とにかく数を撃つしかありませんでした。

届かない返信、募る焦り

夫は、就活中は実に100通近いメールを送っていました。 病院を調べ、少しでも可能性のある病院へ履歴書を添付し、「空きはありませんか?」「雇ってくれませんか?」とアピールするメールです。

でもほとんどの病院からはお断りのメールが返ってきました。

「またダメだった……」

肩を落とす夫を見るのは、私自身、悔しくて辛かった。

試験と違って、努力だけではどうにもならないのが余計にもどかしかったです。 家の中にはどんよりとした空気が漂い、夫が落ち込むたびに、
「絶対に大丈夫!決まるから!」と励ましながら、心の中は不安でいっぱいでした。

「最悪、決まらなかったら日本に帰ればいいやん」

口ではそう言って、慰めていました。日本に帰れば、医師としての仕事はあるし、生活には困らない。言語の壁もなく、夫は100%の力が出し切れます。

でも、言葉とは裏腹に、就活のたびに心の中では激しい葛藤がありました。

「ここまで頑張って、やっとの思いでアメリカの医師免許を取ったのに」 
「ここで諦めたら、今までの努力もお金も全部ムダになってしまう」

妻として一番近くで見てきたからこそ、彼がどれだけ努力してきたか、どれだけ素晴らしい医師であるかを誰よりも知っています。

子どもたちも、パパと遊びたいのを何度も我慢して応援してきました。だからこそ、「絶対に認められてほしい」「なんとしても成功させてあげたい」という気持ちの焦りと、なかなか就職先の決まらない現実に、心の中はずっとざわついて、精神的に一番きつい時期でした。

私ですらこう思っていたのですから、当事者である夫はもっと深く、いろんな思いを抱えていたことでしょう。

でもだからこそ、合格の電話が来た時には文字通り、飛び上がって喜びました。1つ目のフェローも、2つ目のフェローも連絡が来た時のことを鮮明に覚えています。特にアテンディングのオファーが決まった時は、嬉しくて泣きました。

しかし、試練はこれで終わりではありませんでした。次に待っていたのは、過酷な『引越し』でした。

まさかの自費での引越し

就職先が決まった安堵も束の間、次は州をまたぐ大移動の引越しが待ち構えていました。

「お医者さんの引越しなら、病院が全部出してくれるんでしょう?」 そう聞かれたことがあります。
いいえ!フェローの引越し費用は自費です。人の移動の費用も、出ませんでした。

フェローの給料は決して高くありません。でも、引越しやビザ更新には莫大なお金がかかる。
資金が尽きたらアメリカでの挑戦は終了
だからこそ、引越し費用もなるべく節約して、夢を繋ぐためになるべく貯金を減らさないように努めていました。

実際、海外医学留学を支援する「Team WADA」が行った100人へのアンケートでも、フェロー時代の給料や貯金事情など、リアルな懐事情がわかります。 アテンディングになれば世界が変わりますが、そこに行くまでのフェロー期間は、多くの家庭が節約と工夫、貯金を頼りに乗り切っているのが現実です。 
参考『Team WADA:留学医師100人のデータから読み解く!給料・生活費・貯金

アメリカでの長距離引越しは、業者を利用すると目が飛び出るような金額がかかります。なので、コンテナを手配してできるだけお金をかけずに引越しをしました。

コンテナレンタルの場合、コンテナへの詰め込みは自分で行います。友人の力を借りながら、たくさんのダンボールと家具を詰め込んで家具などのものは運びました。そして、人は車で移動する選択をしました。飛行機代もでない、車の輸送費用も高いからです。 シカゴからシアトルへ引越は、その距離なんと約3,300km。果てしなかった・・・

日本で例えるなら、東京と福岡を3回行き来するのとほぼ同じ距離です。 もっと言えば、北海道のてっぺんから鹿児島の南端まで走っても、まだゴールに着かない……アメリカ広すぎる!と痛感。

5日間、毎日6時間のドライブは本当に大変でした。でも、引越しの途中にあった国立公園に立ち寄ったり、アメリカの風景をじっくりみられたのは、今となっては良い思い出です。

繰り返す新生活のセットアップ

当たり前ですが、引っ越してからは土地勘のない場所で、またゼロから人間関係と生活基盤を作り直しです。しかも、フェローの契約は1〜2年。慣れてもまたすぐに引越しすることになります。辛いとかの前に、シンプルに大変です。

  • 子供たちの新しい学校の登録
  • 新しいかかりつけ医(小児科・歯科)探し
  • 前の病院から新しい病院への情報引き継ぎ処理
  • 車のナンバープレート変更や免許の書き換え
  • 買い物するスーパーなどのルーティン作り
  • 習い事を探す

あげたらキリがありませんが、引越しのたびにやるしかないのです。

アメリカの小学校の行事も、 やはり地域ごと、学校ごとで変わります。1年過ごして、やっと年間の流れが掴めます。

「あ、この時期にこういうイベントがあるのね」
「ここの学校のハロウィンは、これくらいの盛り上がりなのね」

最初は手探りだったことも、一通り経験して要領が掴めてくる。 「よし、来年はもっと上手くやれそう!」そう思った矢先に、次の引越しです。

せっかく覚えたその土地のルールや学校の常識が、またリセットされてしまう。 これらの連続には、流石に疲弊しました。

何度も何度も引越しをして、学校が変わって、子供達には申し訳ないなぁと思っていました。でも彼らにとっては、短いスパンで引越しするのはもはや当たり前のこと。次はどんな家なの?と、新しい土地に前向きでいてくれて、とても救われました。子どもたちには本当に感謝しています。ありがとう。

州が変われば別の国だから面白い!

けれど、大変なことばかりではありません。 この「流浪の民」のような生活のおかげで、気づけた面白さもあります。

広大なアメリカは、州が変わればまるで別の国です。 気候はもちろん、その土地ごとの法律やルール、人々の人柄まで全然違うのです。

極寒の地もあれば、雨の多い街もある。 せっかちな人が多い地域もあれば、のんびりした地域もある。話すスピードも全然違っています。でも、どの土地に行っても、助けてくれて見守ってくれる最高の友達やご近所さんを作ることができました。

実は私は、アメリカでこのような引越し生活をするまでは、環境の変化がとても苦手で新しい人間関係の構築もできれば避けたいと思うようなタイプでした。

でも今は違います。毎回なんとかなってきたんだから!今回もきっと大丈夫。この土地でもうまくやっていけるはず。と引越しを繰り返した経験が、背中を押すお守りにもなっています。どこへ行っても生きていける自信がつきました。

なぜそこまでしてアメリカで挑戦するのか?

ここまで、自費での大陸横断や、生活のセットアップの大変さを書いてきました。 これを読むと、きっと多くの方がこう思うはずです。

「なぜ、そんなに短期間で病院を変えるの?」 「日本で医者をしていれば安定しているのに、なぜわざわざ苦労してアメリカへ?」

わかります。面と向かって言われたことも数知れず。私も何度も思ってきました。

それでも、歯を食いしばってこの生活を選んだのには、明確な理由があります。

履歴書とコネを最強にするため

夫はアテンディングになるまでに、2つの病院でフェローを経験しました。 1〜2年で引越しを繰り返したのは、単なる契約期間の問題だけではありません。 履歴書(CV)を強くし、コネクションを作るための戦略でもありました。

アメリカの医療界において、
「どこの病院でフェローをしたか」は、その後のキャリアに直結する重要な要素です。 よりランキングの高い病院、あるいはその分野で著名な先生がいる病院で研修を受けることで、履歴書の一気に強くなります。

さらに重要なのが、人脈(コネクション)です。 有名な先生の下で働き、実力を認めてもらう。そうして得た推薦や繋がりこそが、最終的なゴールであるアテンディング(正規雇用)への切符になるのです。

あの繰り返す引越しは、アテンディングへの道を切り拓くための、避けては通れない戦略的なステップだったのです。

日本では得られない圧倒的な経験値

そして、もっと根本的な理由。 それは、アメリカでしか得られない経験と評価があるからです。

アメリカには、日本とは比にならないほどの症例数があります。 心臓外科はこれがより顕著。教科書に載っているような、術式の名前になっている伝説級の先生も身近にいる環境。 外科医として腕を磨くなら、世界最高峰の環境で揉まれたい。その一心での挑戦でした。

また、アメリカの医師(アテンディング)は、働いたらきちんと評価されて給料で還元されます。

日本の勤務医のように、生活のために別の病院でバイトをする必要はありません。 そのフェアな評価を求めてチャレンジするのです。

節約も引越しも全ては未来への投資

だから、これまでの極貧生活も、全ては未来への投資だと思って過ごしてきました。

節約してお金を残すことは、アメリカでの滞在期間(挑戦権)を延ばすことに直結します。 あの時の我慢は、決して惨めなものではなく、今我慢してアテンディングになるぞー!と自分を奮い立たせるものでもありました。

まとめ

今、就活や試験で苦しい時間を過ごしている方もいると思います。私は、無駄な努力は一つもないと思っています。

なかなか決まらない就職先、先の見えない不安。 あの泥臭いサバイバルな日々があったからこそ、アテンディングとなった今の喜びがあります。

もちろん全ての方の努力が報われてほしい。でも、アテンディングになることだけが正解ではありません。 「やっぱり日本で」と帰国する道も含め、やってみなければ出会わない景色を知ることが最大の財産になると思うのです。
(※実は私も、もともとは海外に全く興味がありませんでした。その話はこちらの記事で!)

ここアメリカで弱者になる経験や、思い通りにいかない葛藤を知ることは、人生の大きな糧になります。
その経験は、将来の後輩への指導や、患者さんへの温かい声掛けとなって表れるはず。

全ての先生方、それを支える家族の努力が報われることを、心から願っています。 日本人ドクターがたくさんアメリカで活躍できますように。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

みなさまの毎日が 小さな幸せであふれますように。 

*あみのままノート*

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この記事を書いた人

3人の子持ちアラサーママ。海外に全く縁がない人生だったはずが、気づけばアメリカ移住。あっという間に5年以上が経過。持ち前の明るさと、負けへんでの精神で、毎日を楽しんでいます。お料理、ハンドメイド、子育てのこと、夫のUSMLE受験(妻の目線)を発信しています。

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